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エホバの証人の輸血拒否における法的倫理的考察 日本臨床倫理学会機関誌「臨床倫理」(2014年2月号)掲載

2017年01月27日

日本臨床倫理学会機関誌「臨床倫理」掲載
エホバの証人の輸血拒否における法的倫理的考察
 
Legal and ethical considerations in blood transfusion
 
to Jehovah’s Witness patients
 
Yuzuru Kawanishi

 

 
 
和文抄録 
 エホバの証人である患者が要求する絶対的無輸血治療を受け入れることは、医師の職業的使命に反するうえ、たとえ事前に「免責証書」を受け取っていても,刑事・民事の紛争に巻き込まれることを回避することはできず、エホバの証人が許容する輸血に代わる代替治療には、医学的な限界がある。
 したがって輸血以外に救命の手段がないときには,原則として医師の裁量で輸血を行うとする相対的無輸血治療の方針をとるべきである。
 患者の同意を得られなくとも、救命のために不可欠であれば、輸血を行うという方針をとることは、法的にも合法であると考えられるので、その法的要件について考察した。
Ⅰ はじめに
 「エホバの証人」といわれる信者は、輸血は神によって禁じられているという教義を持っており、信仰上の信念から輸血を受け入れない。輸血が不可欠な手術などの医療の現場において、医療機関に輸血をせずに治療する事を要求し、「医療上の事前指示(輸血謝絶)兼免責証明書」への同意署名を求めてくる。
 しかし、彼らの「死んでもいいから輸血しないでくれ」という要求は、医師の職業倫理に正面から抵触する受け入れ難い要求であり、医師を悩ませる大問題である。
 これは医療倫理上は、患者に利益を与えよとする「善行原則」が患者の自律を尊重せよという「自律原則」と衝突するジレンマの問題であり、法律論としては「患者の自己決定権」と「医師の裁量権」、「救命義務」の対立の問題といえる。
 医師としては、輸血を拒否するエホバの証人についてはどう対応するのか態度を決めておく必要があるが、今日では、病院での治療は基本的にはチーム医療であるから、エホバの患者に輸血をするかどうかを個々の医師の判断に任せておくわけにはいかず、病院としての基本的な方針を決めておかなければ混乱することになる。
 そこで、医療機関として信仰を理由とする輸血拒否についての基本的な方針を決めておく必要がある。
 本稿は,エホバの証人である患者の輸血拒否に対し,相対的無輸血治療の方針を採用している医療機関について、その実践の報告とこれに対する法的評価である。
Ⅱ 宗教的信念による輸血拒否についての最高裁判決
 最高裁判所は、輸血を拒否するエホバの証人である患者に同意なく輸血をしたケースについて、宗教上の信念により輸血を拒否する権利は「人格権の一内容として尊重」しなければならないとし、医師が手術の際に輸血以外には救命手段がないと判断した場合には輸血をするとの方針(相対的無輸血治療)をとっていたのに、そのことを患者に説明しなかったのは、患者から輸血を伴う本件手術を受けるか否かについて意思決定する権利を奪ったといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとし、55万円の慰謝料の支払いを命じた。(注1)
 この判決は宗教上の信念に基づく輸血拒否が人格権として尊重されるべきであると認め、病院の方針についての「説明義務違反」があったとしているけれども、同意のない輸血が違法行為であるとまで認めたわけではない。判決が、医師の裁量権や救命義務よりも、患者の自己決定権を優先させたものかどうかは、論議があるところであるが、最高裁判決は主として医師の説明義務の観点から論じられており、いかなる場合にも本人の同意がない輸血を行ってはならないと判断しているものとは解されない。
 一方、厚労省は平成17年9月、「輸血療法の実施に関する指針」などを通知し、輸血に関しては説明と同意(インフォームドコンセント)に努め、輸血の同意が得られない場合には基本的に輸血をしてはならないとしているので(注2)、患者の同意を得られない場合に医師の裁量で輸血を行うことができるかは,医師にとって倫理的にも法律的にも悩ましい問題となっている。
Ⅲ いかなる場合でも輸血をしない治療(絶対的無輸血治療)は受け入れられるか。
 医師は、患者の宗教的信条と自己決定権を尊重し、いかなる場合でも患者が輸血拒否する以上輸血を行わない(絶対的無輸血治療)という方針をとるのも一つの選択肢である。
 この場合、患者の提示する「医療上の事前指示兼免責証書」を受け取り、医師が同意・署名することになるであろう。そうしておかなければ輸血をしなかったために発生した死亡などの悪い結果について医療側の責任を免れないことになるからである。もっとも、免責証明によって本人からの民事責任の追及は免れても、手術した医師が業務上過失致死罪や保護責任者遺棄致死罪の刑事責任を問われないという保証はないし、民法711条は生命侵害について近親者固有の損害賠償請求権を認めているから、免責証明をした本人以外の父母・配偶者・子からの慰謝料請求を求められる可能性は依然とし残ることにはなる。
 ところで、エホバの証人が拒否する輸血、許容する輸血とはいかなるものであろうか。
 エホバの証人は、全血輸血はもとより成分輸血も拒否するが、アルブミン、グロブリンなどの血液製剤は受け入れる。自己血輸血でも貯血された自己血は拒否するが、術中希釈式自己血輸血や術中回収式自己血輸血は回路が身体とつながっているという理由で拒否しない。医師が無輸血治療を受け入れこれに同意した場合に、輸血を必要とする手術などの治療を行うときには、これらのエホバの証人が「許容する輸血」方法を選択して治療することにならざるを得ない。
 しかし、これらの代替処置は適応に限定があるうえ、本来の輸血に比して不完全である。たとえば、大量出血が予測される手術に有効だとされる術中回収式自己血輸血にしても、回収効率は100パーセントを大幅に下回り、しかも返血されるのは血球成分のみで、血漿成分などは失われるので、術中に予測を越える大量出血が起きた場合には成分輸血によって凝固系を補う必要が出てくる。いかなる場合にも輸血は行いませんと合意したのでは、患者の救命ができない事態が発生する。輸血に代わる代替治療には限界があることを十分考えておく必要がある。
 輸血を行わなかった結果、患者が死亡した場合、さまざまな問題が残ることになる。そして何よりも、手術中に予期しない大出血があり輸血さえしておれば助かったのに、輸血をしなかったが故にみすみす患者を死なせてしまったような場合、執刀した医師の心の傷は癒しようがないものがある。
Ⅳ 輸血以外に救命する手段がないときは、輸血を行うべきである。
 そこで、これらの問題点を回避するために、エホバの証人の輸血を拒否をするという宗教上の信念をできる限り尊重し、輸血以外の治療の提供に努力しながらも、「原則的として、輸血以外に救命の手段がないときには輸血を行う」という「相対的無輸血治療」の方針をとることがより適切である。
 ここで「原則的」としているのは、いくら救命目的であっても、たとえば終末期医療で、植物的延命効果しか期待できない場合にまで、輸血にこだわる必要はないということを意味している。
 したがって、この方針の下では、「免責証明書」は受け取らず、無輸血治療に同意したり署名したりは行わない。
 患者に対しては、病院の絶対的無輸血治療拒否の治療方針を説明し、輸血の必要性と輸血をしなかった場合の不利益につき十分なインフォームドコンセントを行うことになる。そして、どうしても輸血が必要な場合には、通常通り「輸血に関する説明書」に基づいて説明を行い、患者本人もしくは家族から輸血の同意書を取るよう努力することになる。
 それでも、患者が病院の方針に同意しない場合は、なるべく早期に無輸血治療を行う病院に転院することを勧める。病院によっては無輸血で治療を行うことを方針としているところもあり、むしろエホバの患者の方が無輸血治療の方針をとる病院の情報には詳しいので、どこも引き受け手が見つからないということにはならない。
 無輸血治療を求めるエホバの患者の治療を拒否することは、医師法19条の応招義務に抵触するのではないかとの問題はあるが、無輸血では医療水準にかなった治療ができず、医師の職業倫理に反すると考えられるときには、十分な説明を条件として手術などの治療拒否の「正当な理由」が認められ、医師法19条違反の問題はおこらないと考えられる。
Ⅴ 交通事故で運び込まれたような緊急な場合の扱い
 患者本人に意識があれば、信仰を理由に輸血を拒否するかも知れないが、本人が意識不明な場合でもエホバの患者は常に輸血拒否を指示するカードを携行しているから、それと知ることができる。また同行してきた家族や信者仲間が輸血拒否を要求することもある。しかし、多くの場合、患者本人が本当に輸血を拒否しているのか、その真意を知ることはできないだろう。
 緊急に治療をしなければ助からないというようなときに、輸血を拒否しているという理由だけで、治療を行わないというのは、救命の必要性と緊急性があり、他の医療機関への転送は困難か不可能であろうから、医師が診療を拒否する「正当な理由」は認め難く、この場合の診療拒否は応招義務違反になる可能性が強い。したがって、この場合には、患者を受け入れたうえ、病院の方針に従って、なるべく無輸血での治療を追及することになるが、それでも輸血を行わなければ助からないという事態であれば、医師の判断で輸血を行う。
 後日,患者本人から民事裁判を起こされる可能性は免れないが、輸血をせずに死亡した場合でも、どのみち先に述べたような別の刑事・民事の法的紛争に巻き込まれる可能性は皆無とはいえないので訴訟リスクを免れないことに変わりはない。しかし、このような場合であれば、医師のした救命のための輸血は,民法698条の「身体に対する急迫の危害を免れさせるための事務管理」に該たり、悪意又は重過失がなければ賠償責任を負わないし、刑事的には刑法37条の「他人の生命、身体に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為」として緊急避難と認められる。
 しかし、これらの緊急な場合、患者は病院を選択できず、また患者や家族に病院の方針を説明する余裕がないのが普通であるから、病院としては「相対的無輸血」の治療方針を取っていることを、日頃から何らかの方法で対外的に公開しておく必要がある。院内の掲示、病院案内への掲載、またはホームページなどで病院の方針を広報をしておくことが大事である。これによって,先に述べた最高裁の説明義務違反の批判を免れることができると考えられる。
Ⅵ 親の親権に服する未成年者の場合の扱い。
 昭和60年6月6日、神奈川県川崎市の病院に、交通事故で負傷した当時10歳の少年が救急搬送され、大量出血のため輸血が必要であったが、エホバの証人の熱心な信者である両親が輸血を断固拒否した。少年は「死にたくない。生きたい」と訴え,医師も必死に説得をしたが、父親があくまで輸血に反対し、結局輸血ができず少年は死亡したという痛ましい出来事があった。少年に判断能力が十分あれば、少年が望んだとおり輸血をすればよかったが、10歳では判断能力を認めることに無理があったのかもしれない。民法は満15歳に達しておれば遺言能力を認めているなど、身分行為については15歳を一応の目安として判断能力を決めているので、満15歳に達していれば本人の意思を尊重し、原則として成人と同じように扱うことになるが、判断能力のない子供について、両親の親権に委ねざるを得なかったのであろう。医師としては、親から輸血の同意を得られなければ、反対を押し切ってまで子供に輸血を行うのは困難だったのかも知れない。
 しかしながら、そもそも親は自らの宗教的信念から輸血を拒否し,子供の生命を犠牲にすることが許されるであろうか。親は子の利益のために監護及び教育をする権利と義務を負う(民法820条)。親が自己の宗教的信念から子供に必要な輸血治療を拒否し、死に至らしめる行為は、監護義務違反であり、保護責任者遺棄致死罪(刑法218条)に問われかねない行為であり、児童虐待の一種の医療ネグレクトにあたると考えられる。
 このような場合の取扱としては、医師は、親に理解が得られるよう説得する努力をするが、同意が得られず、最終的にはどうしても輸血が必要であれば、親の輸血拒否は親権の乱用だとみなし、医療機関の判断で輸血を行って差し支えない。この場合には医師は親に代わる保護義務者にあたり、輸血は緊急事務管理(民法698条)に該当すると考えられる。
 しかし、親の反対が頑強で、輸血を行うことが事実上困難であれば、家庭裁判所に親の親権停止と職務代行者選任の審判前の保全の申立をして(家事事件手続法105条、174条1項)、一時的に親権を停止し、職務代行者の同意を得て、輸血する方法をとることが可能である。
 宗教的理由から、先天性心疾患がある0歳児の手術に同意しなかったケースにつき、児童相談所所長の申立てた親権職務執行停止・職務代行者選任申立事件で、名古屋家庭裁判所は「手術拒否は合理的理由を認めることはできず、同意拒否は,親権を濫用し未成年者の福祉を著しく損なっている」として親権者としての職務を停止し,弁護士を職務代行者に選任した。同じような例として、進行性の先天性脳疾患を持つ児について、生命の危険を回避し、精神運動発達遅滞の発生や重度化を回避するための手術に同意しない両親の親権を停止し,医師を職務代行者に選任した大阪家庭裁判所岸和田支部の審判決定がある(注3)。これらのケースは、輸血拒否そのもののケースではなく、手術の同意に関するもので、申立から決定までにある程度の審理期間を要しているが、救命のために輸血を必要とするケースでは、一刻を争うので時間的余裕はない。最近では裁判所も輸血拒否のケースでは、緊急の必要性をよく理解しているので、即日審判で決定を出す扱いがなされている。公刊されている審判例には見当たらないが、即日決定されたことが新聞報道されている。(注4)
 これらの申し立ては、利害関係人として医師あるいは,両親以外の親族からもできるが、児童相談所に虐待の通告をし、児童相談所所長から親権停止を申し立ててもらうことも可能である。
 「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」(注5)は、これまでの裁判例を踏まえて、15歳未満の患者について、親の同意が得られなくても、上記のような手続を取ることにより輸血を可能とする道を示している。
 
 
注1;最高裁判所 平成12年2月29日判決 民集54巻2号582頁
注2;厚生労働省平成17年9月6日付医薬食品局長通知、「輸血療法に関する指針」(改訂版)及び「血液製剤の使用指針」(改訂版)薬食発第0906002号
注3;名古屋家庭裁判所平成18年7月25日審判、大阪家庭裁判所岸和田支部平成17年2月15日審判、いずれも家庭裁判月報59巻4号127頁。これらの審判例は、宗教的理由による治療拒否であるが、エホバの証人によるものかどうかは記載が無く,明確ではない。
注4;平成21年3月15日「即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で」と題する共同通信ニュース。
注5;「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」(2008年2月28日宗教的輸血拒否に関する合同委員会報告)


英文抄録
 
Accepting the demand of a Jehovah's Witness patient for completely bloodless medical treatment can contradict a physician’s professional duty, and even if a waiver of liability is obtained beforehand, it may not always be possible to avoid either a criminal or civil lawsuit. Furthermore, limited options are available as alternatives to blood transfusion for saving a life. Thus, in cases where a blood transfusion is the only means available to save a life, in principle the appropriate policy is to provide “relatively” bloodless medical treatment in which blood transfusion is performed at the discretion of the physician. As the policy of performing blood transfusion when indispensable for saving a life is considered legally sound even when a patient’s consent cannot be obtained, we discuss herein the associated legal requirements.